「セキ☆ララ」「あんにょん由美香」「童貞。をプロデュース」「ライブテープ」など、やたらとヘンなドキュメンタリー映画を撮る兄ちゃん、松江哲明監督の最新作はなんと3D!
マジかよ!なんだよソレ!という事で、Tジョイ博多で観てまいりました。
ディジュリデゥ奏者のGOMA氏は、2009年、首都高速で不慮の追突事故に遭遇。軽度外傷性脳損傷による高次脳機能障害を負い、過去の記憶が消えたり、新しい出来事を覚え辛くなってしまいます。
そんな彼がリハビリ期間を経てだんだんと復活していく様子を、アノ手コノ手で振り返りながら、突然何の脈略の無い映像が頭の中に浮かんでくる症状「フラッシュバック」を3D映像で表現しています。
・・・と言葉で説明しても何のこっちゃ分からないどころか、「脳がおかしいのはお前の方だ」って感じでしょうから、これは皆さんに映画館で確認していただくしかないんですが。
まず最初に言っておきたいこと。
これは映画館で3Dかつ大音量で観なきゃ何の意味もない!!!という事です。
ライブ映像と3D効果の相性の良さがちょっとどうかと思うくらいの素晴らしさで驚きました。え、こんなに立体感あるの?ってビックリですよ。ホントにライブを観ているような感覚に陥りました。
キミ格好うぃーね!ゲッツ!(流行語)
ディジュリドゥって楽器がまた凄く3D向きの形状なんだなこれが!そんなに飛び出す必要ないだろってくらい飛び出しておられました。思わずディジュリドゥに敬語を使ってしまいました。
基本的には、現在のGOMA氏のライブ演奏の背後に、事故以前の過去の映像が淡々と映され続けるという流れ。もちろん3D映画なので、過去の映像はGOMA氏のライブ映像よりも一層後ろで流れるんですね。
この、【過去の記憶をレイヤーとして捉える】という解釈がとても面白いんです。
現在のGOMA氏の背景として過去の映像が流れるだけの本当にシンプルな構成なんですが、この3D演出ひとつで、どんどん想像が膨らんで色んな解釈が出来るんです。
現在の背後に過去があり、過去の手前に現在がある。
この映像だけで、「過去の積み重ねがあるから現在がある」とも取れるし、「現在が過去を塗り替えていく」ともとれるし、「過去を背にしてひたすら前進していく」ようにも見えますよね。
つまり、想像の余地が沢山あるのが、この映画の良い所だと思うんです。
だって、どうやったってGOMA氏の感覚は本人にしかわからないんですよ。この映画を観ている僕たちも、GOMA氏がどんな感覚で日々を過ごしているのか想像もつかないし、「さぞかし不安なんだろうな」と漠然とした想像しかできない。
分からない事は分からない事として、分からないなりに表現しているように見えました。
中盤以降になると、いよいよ事故と高次脳機能障害の話になってきます。
事故の様子を説明するくだりになると、映像が突然手描きアニメーションになるのが凄く印象的でした。
3D映画だからこそ出来る疑似体験的な手法だし、言葉で説明されるよりも観客に伝わるし、非常に気が利いてますね。
GOMA氏の事故以降の映像も入るようになり、GOMA氏と奥さんによる日記から引用された肉筆の文章、GOMA氏がある日突然描き始めた絵などが背景として登場するようになります。
事故前は絵なんて全く描かなかったのに、急に「絵を描きたい」と言い出して「自分は画家だ」と思っていた話とか、予定されていたリキッドルームでのライブの話を振られて「リキッドって何?」って答えた話には衝撃を受けました。
復帰ライブに向けての最初のリハが上手くいって泣き崩れるエピソードや、リハーサル毎に体が感覚を取り戻していく話もスゲー良い話だな~って。
GOMA氏の奥さんや子供が出てくる家族のシーンでは、「鉄の男」と呼ばれたこの私も(;_;)でした。
奥さんがさぞかし優しくて立派な方なんだろうなあ、と、彼女の日記の文章から伝わってきますわなー。
GOMA氏の言う「過去」や「今」や「未来」という言葉は、僕らが普段使っているそれとは全く違う意味に聞こえるんですよね。もっと言えばGOMA氏の「今日」という言葉でさえ、普段僕らが使っている言葉とは違う重みを感じます。
やってる事は凄くトリッキー、でもシンプルな構成。それだけにガツンと心に飛び込んできます。
ディジュリドゥによる重低音のシャワー&3D映像のシャワー。
「見せる」というよりも「感じさせる」まさに体感型のドキュメンタリー映画でした。
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